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#03❝恥の文化❞

#03 “恥の文化”

 恥という言葉、最近この恥を考えない、恥を恥と思わない人たちが多くなったように思う。この恥の欠落が世間では様々な問題や事件を引き起こしている。人間はもともと恥るという感覚を持っているはずだが、無くしてしまっているとは思いたくない、失ってしまったのでもなく、心の片隅にはあるのだが忘れてしまっているだけだと思いたい、日本も含めて世界を見渡しても、国のリーダーの恥を考えていない行動や言動がやたら目につく、何故このように恥の感覚が薄れてきているのか、それはきっと社会の中での自分以外の他の人との関わり方に問題があるのではないか、自分の行動や言動に対しての責任を持つという精神が自分本位に偏り過ぎているのではないかと思う。「恥」、恥ずかしいと思う感覚は本来人間にとって大切なものだと思う、あの人はシャイだよねとか言われるように、世間ではシャイという言葉がよく使われているが、シャイは普通の言葉に戻すと恥ずかしがりのという意味でもある、「恥」とは少しニュアンスが違う、「恥」の意味は世の人に対しての面目、名誉を失うということなので、一般に使われるシャイとは意味が違う。アメリカの文化人類学者のR.べネディクトが日本文化を記述した「菊と刀」の中で恥の文化という言葉を使っていました。彼女が言う恥の文化とは他者の内的感情や思惑と自己の対面を重視する行動様式によって特徴づけられる文化を言うらしい、彼女はこの「恥の文化」に対立する文化として内面的な罪の意識を重視する行動様式としての「罪の文化」を上げている。罪の文化はキリスト教を中心にした西洋文化の典型であるのに対して恥の文化は日本人特有の文化体系と考えられるということらしい、日本における東洋思想は様々あるが、特に仏教思想が日本に伝わってからの長い歴史のなかで、日本人の感性に与えた影響は時代の移り変わりの中で多くの文化的遺産や思想文化として根付いてきたと思う、「恥の文化」を様々な角度で切り取りながら社会学的に考察してみるともっと面白いのではないかと思っている。

建築家 川嶌 守

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