#20❝方丈・数奇❞
#20 “方丈・数奇”
鴨長明の方丈記は建築学的には非常にミニマムな建物と言える。またその建物での生活もミニマムである。60歳を過ぎて鴨長明が考えた家というよりも栖は、いずれ訪れる死を向かえる庵のような厳かな生活そのものが、朝起きて床に就くまでひとつのリズム、仏に祈る、音楽(琴や琵琶)を奏でる、又書を書くそして静かに行く末を考える、その繰り返しの中で死を向かえる、その場所がこの方丈の小さな庵なんだろう。方丈庵は西山を望む傾斜地に建てられました。西側は西日をまともに受ける、一般的には西日は避けるが敢えて西側に向けてたてたのかは、沈む前の西日はかなり強烈に感じる、東の空からあがってくる明け方よりもエネルギーを感じ、神秘を感じたのだと思われる。「数奇というは、人の交わりを好まず、身の沈めるをも憂えず、花の咲き散るを哀れみ、月の出で入りを思うにつけて常に心を澄まして、世の濁りに染まることとすれば自ら生滅のことわりも顕れ、名利の余熱尽きぬべしこれ出離解脱の門出に侍るべし」長明は「数奇」を通して歌や音楽、信仰に没入しつつ執着から自由になるという生き方を求めていた。数奇はその後室町時代になると茶の世界をあらわす言葉となっていく、村田珠光が「侘茶」を創始する。その後堺の武野紹鷗を経て堺の千利休によって完成される。茶室の基本である四畳半は方丈庵にあるともいわれている。
建築家 川嶌 守

