#23❝雨粒❞
#23 “雨粒”
ふと窓の外に目をやるといつも見慣れている二軒の家とその家と家の間から見える木々を見ながら目を上に向けると空が広がっている、今日は朝から生憎の雨模様、空は灰色の雲に覆われ、雨粒が糸を引いている、その雨の糸は窓の外の景色の中で規則正しく上から下へと繋がっているように見える、よく見ると雨の粒が線のように見えているだけなのだと気が付く、雨の粒をこんなに意識してみたのは今まであっただろうか、あったとしても雨粒ではなく雨が降っている事実を感じていただけだと思う
雨の音が耳を通して伝わってくる、その雨音は屋根にあたった音だったり、何かにあたった音なんだろう、空から落ちてくる雨粒の音はどんな音なんだろうと思い窓を開けて耳を澄ましてみたけどわかりません、雨音を表現する言葉にシトシトとかザーザーとかあるが、今日の雨は少量の雨なのでシトシトなんだろうが私の耳にはシトシトとは聞こえてこない
雨粒は空からまっすぐ落ちてくる風が吹けば風と重なりながら落ちてくる、今日の雨は小さな雨粒の雨である、そんなことを考えて窓の外を見ていると西の空がだんだん明るくなってきたもうすぐ雨もやむのだろう
私としては久しぶりの雨なのでしばらく雨音を聞きながら、フレデリック・グロの「歩くという哲学」を読んでいたい、グロは歩くことは自由を得ることなんだと現実の様々なことや物に対する執着や社会での肩書等々を一時的に捨てることに繫がるのだ、歩け、歩け、二本足でどこまでも歩けと言っている
ある年齢に達したら人間は「永遠の我」と親しむことを学ばねばならない、全てが与えられるのは全てを諦めた時だ、何も欲しがらなくなった時に全てが溢れんばかりに与えられる
素晴らしい風景に出会った時がその風景が収まっている世界は自分だけのものだと思える時がある、つまりみること、見つめることは所有することでもあり、まるでその世界を盗み取ったかのようにその景色を楽しむことができる
人は独りではない、というのは人の中には二人の私が常にいる、その二人の私が絶えず何かをするときにすべきかしないべきかを話し合っている、私の中にもうひとりのワタシが同伴して人生を二人三脚で歩んでいるのだと思う
建築家 川嶌 守

